「私の生きる道」

鈴木松枝

皆さん初めまして、私は県北の登米市在住の鈴木松枝と申します。今日は、「私の生きる道」と題して、ALSを発症してから現在に至るまでの経緯と、今後の自分の生き方の方向性を決めるために活動していることを、パソコンを使ってお話をしたいと思います。機械的な話し方で、お聞き苦しい点もあると思いますが、お許し下さい。

私はALSを発症して9年目を迎えます。9年前私は、夫の仕事の関係で、子供達を連れて渡米しました。アメリカでの生活を始めていくうちに、言語障害のようになり、ろれつが回らなくなってきたのです。そこで病院に通い始めましたが、何軒かの病院を回り病名が分かったのは、1年後でした。一抹の不安を抱いて聞いた病名は、ALSだったのです。現地の病院での告知だったので、病気の説明は簡単で、あとは日本語の医学書のコピーだけでした。告知を受けたとき、愕然として理解することができませんでしたが、大変な病気になったことはわかり、そんな病気になった自分を責めました。もらった資料を何度も読み返し分かったことは、ALSは全身の筋肉細胞が冒されて機能が失われていき、やがて死にいたるという進行性の難病であること。そして、原因も治療法もまだ解明されていなく、人工呼吸器を付けなければ、死に至るまで5、6年ということでした。

これからのことを考えると悩み苦しみましたが、病気になってしまったことは取り返しのつかないことです。体が動かなくなるという恐怖はありましたが、5、6年後には子供達が成人するので、それまでは精一杯悔いの無いように生きようと、その時決意しました。その後、病状の進行は緩やかでしたが、帰国半年前頃になって急速に進行し始めました。それは発病から3年になる頃でした。

帰国後はさらに急激に病状が進み、まだ食事は自分で食べられましたが、車椅子の生活になりました。帰国して半年が過ぎた頃、当時の主治医から、今後は食事もできなくなってくるし、痰の吸引も難しくなるからと、胃ろうを作ることと気管切開を進められました。特に気管切開については、呼吸困難になったときすぐ人工呼吸器を装着できるからという説明でした。夫も手術を進めてくれましたが、その頃はまだ食事もでき、痰の心配もなかったので、胃ろうも気管切開もするのはまだ早いと考えていました。それに加えて、体に穴を開けた状態になることに抵抗を感じて、その気にはなれませんでした。それから半年たった頃になると、食も細くなり痰の吸引も難しくなってきました。そこでやっと私も、胃ろうを作ることと気管切開をする事を決め、2000年の8月末に手術を行いました。術後、在宅療養をするために準備を始めましたが、往診を引き受けてくれるところが見つからず、病院を転々としながら8ヶ月待ち続けました。やっと往診医が見つかり在宅療養が始まりましたが、介護をするのは娘になってしまいました。

娘の介護を受けながら1年を少し過ぎた、2002年の8月の夜、それは突然やってきました。それは、呼吸困難に陥ったのです。このようなことになる3週間ほど前から、普通に呼吸が出来なくなっていることを自覚していながら、誰にも言わないでいた矢先の出来事でした。夜8時半頃、急に痰がつまり苦しくて家族を呼んだ時、初め分からなかった父と娘も、私の顔色が変わっていくのをみて事の重大さに気付いたようでした。痰がつまり苦しみだしたときから私は、「誰でもいいからこの苦しみをとって!、誰か助けて!」と、心の中で叫び続けていました。呼吸が苦しいなか、賢明に呼吸を元に戻そうともがいていると、もうろうとしてきて意識が混濁していき、後は暗闇にスーッと引き込まれ、意識が無くなったのです。

ふと気付くと、往診医の先生をはじめ、日頃から私のケアに携わってくれているみんなの顔がありました。そうです、私は、私のために駆けつけてくれた皆さんや家族に、命を救ってもらったのです。その夜、病院にて人工呼吸器を装着しました。それからは夜間の吸引のこともあり、24時間体制で私の介護が必要になって、家族が当番制で介護にあたることになりました。しかしながら介護を続けていくうちに、今まで身勝手な行動をとっていた夫のことが浮き彫りになり、やがて私が在宅療養を続けていく、経済的な余裕も無くなっていきました。在宅療養を去年の3月まで続けてきましたが、その様なことから、介護出来るのが子供達だけになってしまったため、長期にわたり私を預かってくれる受け入れ先を探すこととなりました。その時、国立西多賀病院に在籍中の頃の今井先生が手を差し伸べてくださり、そのおかげで入院することができました。病状は安定していて、顔と右親指の機能がまだ残っており、右親指を使い、パソコンでコミュニケーションを取ることができていました。

病院生活が始まってまもなく、これからの自分の進むべき道を考えました。子供達が私の介護だけではなく生計も立てていかなければならなくなった今、これ以上私のために子供達に迷惑をかけてはいられないと思い、施設への入所を決心しました。このことを主治医の今井先生にご相談したところ、病状も安定しているし今後のことを考えたら、その方がいいだろうと言ってくださったので、施設入所に向けての方向性を、はっきり決めることができました。この時点での私は、施設にALS患者用の部屋があるところであれば、入所ができると思っていました。私が入所を希望してる施設は、県の最北端の唐桑町にあります。自宅から近いということもあり、ALS患者専用の個室があるということが、決め手になりました。初めに家族が唐桑町にあるその施設へ、施設の利用とALS患者専用個室の利用状況についての説明を聞くため訪問しました。が、その回答は「現状ではALS患者を受け入れることはできない」との事でした。また、県内における身体障害者療護施設において、人工呼吸器装着者の入所例がなく、施設入所を希望しても入所はかないませんでした。ここから、私の施設入所に向けての活動が始まりました。

主治医である今井先生のアドバイスを受けながら、施設を希望した経緯と施設入所についての私の気持ちなどをしたためた陳情書を、知事宛に送りました。また同様に、唐桑の施設の施設長様宛にも手紙を送りました。この二通の手紙は、私の施設への入所についての思いを、知っていただくために送ったものです。更にこのころ唐桑の施設の話を家族から受けていたので、手紙だけではなく施設の訪問もしたいと考えました。折しも、今年の3月末から4月末まで自宅に戻る機会ができたので、この機会に施設訪問をすることにしました。その目的は、施設の様子を自分の目で確かめることと、私自身を施設の皆さんに見ていただき、知っていただくことそして、「現状ではALS患者を受け入れることはできない」という、その理由を聞くことです。施設へは車椅子で伺いました。とても好意的に対応してくださり、今までALS患者は受け入れないと背を向けていた態度が一変して、ALS患者の受け入れのことを考えてみますという意思表示をしてくださいました。そして、ALS患者を受け入れられないという、施設の抱えてる諸事情の説明も、文書でいただくことができました。

このような結果から私は、施設訪問をして本当に良かったと思いましたし、身体障害者療護施設入所に向けての第一歩を踏み出すことができたと思っています。

施設の抱えてる問題点というのは、次に上げる二点です。その一つは、神経内科医の嘱託医を依頼できる医師は、気仙沼唐桑地域で一人しかいないために、依頼しかねているということ。二つ目は、介護士のみで夜勤2名体制を行っているため、ALS患者を受け入れると現状3人の看護師を増員し、夜勤をしなければならないということでした。

これらの問題点を受けて、これからどうすべきかを思案していたとき、主治医の今井先生のアドバイスもあり、県に公開質問状を送り県の考えを聞くことにしました。その公開質問状の内容は、それぞれの問題点に対策案を添付したものにしました。

第一点目の嘱託医については、患者会を通じて調べた限りでは、嘱託医に神経内科医がいることが必ずしも必要ではないということと、施設入所に際しては、現在入院中の病院の先生方に充分な支援をいただける事ができるという案を添付しました。

第二点目の吸引の問題については、痰の吸引は自宅に置いて現在、条件付きでヘルパーの吸引を認め実施していますので、在宅の延長である福祉施設に置いても、痰の吸引は必ずしも看護師ではなく介護士が行っても良いのではないかと考えます、という案を添付しました。後日、文書での回答を県から送付されましたが、その内容は計らずしも、私の淡い期待を裏切る内容でした。その内容は、次のような事柄です。

第一の問題点、嘱託医に関しましては、「身体障害者福祉法に基づく指定施設支援に関する基準」の内容を理由に、嘱託医には神経内科医でなければならない、という事が書かれていました。また第二の問題点、痰の吸引については、現在の医療法に置いて介護士の痰の吸引は認められていないので、介護士による痰の吸引は認められない、という事が書かれていました。

現在の時点までの、施設や県に対しての私の働きかけはここまでですが、施設の入所が決まるまで、自分のできる精一杯のことをしていきたいと思います。特に痰の吸引の問題については、自宅に置いて条件付きでヘルパーの吸引が実施され、ALS患者を受け入れてる他県の施設に置いては、介護士による痰の吸引が実施されている例もあるので、もっといろんな情報を集めて県に対して働きかけたいと考えています。

これまで施設や県に施設入所ができるようにと働きかけてきましたが、それと合わせて入所したときにすぐ使えるようにと、私自身に関する標準書や資料の準備をしています。施設入所の準備として現在までに作成したものは、マニュアル書、呼吸器の取り扱い注意書き書、医療器具一覧、使用薬リストなどです。マニュアル書には、吸痰時の注意事項、文字版の使い方、その他の日常項目、清拭時の注意事項、起床時の体位、体位調整、足の位置決め、コールの持ち方、排便の仕方、就寝時の体位の事など、日々の生活のなかで繰り返し行われる行為が書いてあります。各項目毎にそのやり方、注意点、何故注意をしなければならないのか、などが書かれています。このマニュアル書を使えば、誰が私のケアを行っても同じケアを受けることが可能ですし、介護者から介護者への引継でのズレなども防ぐことが可能です。また、私から介護者への伝達時間の短縮や、患者と介護者とのやり取りで起きる、イライラ感を無くすというようなメリットが、マニュアル書を使うことで生まれます。

呼吸器の取り扱い注意書き書は、人工呼吸器を装着してから3年の間に、私自身が体験したトラブルの経験を基に書きました。その内容は、フレックスチューブ、ウォータートラップ、加湿器、回路、気道内圧値などについての10項目を各項目毎に、トラブルの起きた状況とその時の患者の状態、そしてその対応の仕方について書かれています。作成した目的は、チェックシートを使っての管理に加えて、呼吸器のトラブルの状況とその対応の仕方が分かれば、呼吸器を管理する質が向上されると考えたからです。医療器具一覧は、使用器具の把握を目的に、そして使用薬リストは、薬剤名と使用箇所を明確にするために作成しました。

これまでお話ししてきた身体障害者療護施設入所に向けての活動や、準備を続けてこられたのは、入所を決意したときから「これからはさらに気持ちをしっかり持って、自分のできることは自分でしなければ」と、いう強い気持ちがあったことと、その気持ちに賛同していただいた今井先生を始め、関係者の方々の御協力があったからこそだと思っています。

ALS患者を取り巻く環境は、まだまだ厳しいです。私の他にも、いろいろな事情で施設への入所を希望してる方が、何人もおられることを知っています。しかし現段階では、希望すれば入所できるという状況ではありません。私が施設の入所に向けて活動を続け、それが実現できたならば、今まで閉鎖的だったALS患者の施設入所への道が、少しでも開けるのではないかと思っています。そのためにも、子供達を一日も早く楽にするためにも、身体障害者療護施設の入所に向けて活動を続けていきたいと思います。そしてこれからも、目標を持って生きていきたいと思います。

「私の生きる道」を最後迄聞いていただき、有難うございました。

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